3月 24, 2009

駅前交番 -ペデストリアンデッキ学会-


写真8

写真9

立川警察署の北口交番(写真[8])と南口交番もデッキの下になり見つけづらくなりました。この状況で、すぐ目につくのが、立川駅のコンコースにある警視庁鉄道警察隊の立川分駐所です。ここの警察官は街の道案内も熱心にされていますが、鉄道関係の本来業務に就くため分駐所を閉めるときがあり、このときが問題なのです(写真[9]=古い写真)。



写真10

写真11

これを解決するため、警視庁に「分駐所の前に両交番を案内する地図(写真[10])を張っていただけませんか」と手紙を書きましたら、三週間ほどで実現してくださいました。連携強化へ前進です。現在は、分駐所を閉める時間が短縮されて、閉めるときのみ地図をかけるようにしています(写真[11])。将来的には、交番の統廃合も検討しなければならないのではないでしょうか。

以上のほかに、一般的には、デッキの設置で生じる問題には

(1)目立たなくなった地上店舗の救済をどうするか
(2)デッキ下は雨に濡れなくてすむものの薄暗くなるので解決策は?


…があります。
立川のデッキは、設置の歴史からすれば後発組です。それにもかかわらず未解決のソフト面を中心とした問題や弱点が残っているといえましょう。都市間で情報を交換するとともに、新技術の開発が急務でしょう。


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若山牧水の歌碑 -ペデストリアンデッキ学会-


写真6

写真7

事前に歌碑のある位置を大まかな地図で確認、北口の地上を探しましたが、なかなか見つかりませんでした。いつも歩くデッキの斜め下に建立されていたのに、です(写真[6])。 早速、関係者に電話しますと、「『見つけづらい』『文化財だから、目立つ場所に移設すべきだ』との電話があるのです」とのこと。そこで「歌碑の立つ位置にデッキから下りる階段があり、その脇にバス路線を説明する衝立状の案内板が立っています。その余白に『牧水歌碑 この下です』と書いたらいかがですか」と提案、改善していただきました(写真[7])。弥縫策とはいえ金がかからない点はよいのですが、美観を維持するために張り紙がどこまで許されるかを事前に検討しておく必要があるでしょう。


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郵便ポスト -ペデストリアンデッキ学会-

写真3

駅前の一番目立つところにあった郵便ポストがデッキの下となって発見しにくくなってしまいました(写真[3])。これでは、初めて立川駅に降り立った人にはどこにあるかが分からず大弱りです。また、JR立川駅と多摩都市モノレールの立川北駅の間をデッキ上で移動する人にも不便です。


写真4

写真5

関係者に「不便さ解消」を陳情しますと、ポストをデッキの上に設置してくださいました(写真[4][5])。地上から6メートル前後の高さにあり、この高さにあるポストは全国でも珍しいのだそうです。

これから得た教訓は
イ.なるべく公共施設をデッキの下や物陰にしない。
ロ.デッキの形状を設計段階から工夫して、地上の施設がよく見えるようにする。
ハ.地上に下りなくても用が足せるように代替の施設を用意する。


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リヒテンシュタイン学会


2008年秋に首都ファドーツ(ファドゥーツ)
で見かけた牛

リヒテンシュタイン侯国国旗

リヒテンシュタイン侯国はスイスとオーストリアに囲まれたアルプスのミニ国家。大きさを考えるときは、日本の九州をスイス、平戸島をリヒテンシュタインと考えれば、日本人にも理解できるのではないでしょうか。
本会では、リヒテンシュタインについて研究する書物の動向のみを収集したいと思いますのでよろしくお願いいたします。

(1) リヒテンシュタインの憲法(新田隆信著 一粒社)
(2) 誰も書かなかったリヒテンシュタイン(大石昭爾著 サンケイ出版)
(3) ミニ国家・リヒテンシュタイン侯国(植田健嗣著 郁文堂)
(4) 軍隊のない国家 27の国々と人びと(前田 朗著 日本評論社)


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ペデストリアンデッキ学会


写真1

写真2

「ペデストリアンデッキ」―この和製英語を直訳すれば「歩行者用デッキ」、一般には「高架歩道」と訳されています。さらにペデストリアンデッキと歩道橋との差は何かといえば、「広場機能」の有無でしょう。
ペ デストリアンデッキの国内第1号は昭和48(1973)年に千葉県のJR柏駅東口に登場したもので、それ以来、今や全国で百二十カ所以上設置されていま す。ペデストリアンデッキは駅前再開発、ひいては都市再開発の有力な手法として定着したといえるしょう。しかし、問題がないわけではありません。
問題点を東京西部のハブ都市、立川市での例で説明してみましょう。
米 軍基地返還後、発展めざましい立川でデッキが本格開通したのが平成13(2001)年。JR立川駅の地上ホームに降り、階段を上がって東改札口を出て右に 行けば北口、駅の二階フロアが迫り出した状態になっているデッキを歩けば自動車を気にすることなく、伊勢丹や高島屋、パレスホテルに二階から入っていける 仕組みになっています。さらには、オフィスのあるビルにも二階から入れ、一日中、地上に下りることなく仕事に、食事にと過ごすことができます(写真 [1][2]参照)。こんな便利さの中にある不便さを指摘して、これからデッキを建設しようとしている地域の参考にしていただきたいと考えています。ま た、将来はこのホームページを通じて不便解消のアイデアを交換することができればと願っています。

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3月 06, 2009

平舘海峡?に「合体鯨島」!

平成20(2008)年8月19日、東日本フェリーの「ナッチャンWorld」で青森港から函館港に向かって北上中、下北半島をぼんやり眺めていましたら、平舘海峡のあたり?で斜め前方に二つの小さな島を発見しました。そして、その横を過ぎた後、振り返りましたら、なんとそこに『大きな鯨』が出現していたのです! 二つの島が重なり、合体したように見えて鯨になったのです。
自然の造形の妙に感心して写真を撮り、これを観光に生かさなければと勝手にネーミングを考えました。単に『鯨島』ではすでにいくつかありますので、『合体鯨島』、あるいは、南下する人の場合は恐らく「あっ鯨発見!…島か」となるのではないかと想定、それなら縮めて『鯨発見島』ではどうかとも考えました(「鯨の出没を見張る島」とも解釈されそうですが…)。
以上から、『合体鯨島』がいいと思うのですが、いかがでしょう。

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3月 05, 2009

銚子電鉄の「笠上黒生(かさがみくろはえ)駅」の駅名にビックリ

千葉県の銚子市内を走る銚子電鉄(銚子電気鉄道株式会社)は、ぬれ煎餅を売ってまでして路線維持に懸命です。これを応援しようと、路線図を眺めていましたら、「笠上黒生駅」の駅名が目に留まり思わずニヤリと笑ってしまいました。自分の頭髪が薄く白いせいか「笠髪(・)黒生」、すなわち「笠の下の髪が黒く生える」と読めたからです。早速、青春への回帰を願って切符を買いました。
銚子電鉄は「本銚子(もとちょうし)駅」の切符を「本調子(ほんちょうし)」にかけて開運・合格祈願切符として売り出し好評ですが、「笠上黒生駅」の切符も青春祈願切符として売り出したらどうでしょう。売り出せば、切符が売れなくても駅に養毛剤やかつらの広告が出るかもしれません。 頑張れ! 銚子電鉄!

笠上黒生駅の切符

車両から見た笠上黒生駅

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3月 04, 2009

初の「いすみ鉄道」記念切手

「ファイト!いすみ鉄道・銚子電鉄」―というテーマで、鈴木康之画伯に第32回個展を千葉市中央区のギャラリー金巴里で平成20(2008)年7月1日から6日まで開いていただいた際、記念切手を発行しました。鈴木画伯が描いた詩情あふれる「総元駅」のスケッチを中央にはめ込んでつくった50円切手で、縁にある「日本郵便 NIPPON 50円」の字の色が緑版、オレンジ版などと異なる5種類。鑑賞に来られた方々にお配りしたのでもうありませんが、いい思い出です。経営に全力投球する銚子電鉄の小川文雄社長、いすみ鉄道の吉田平社長も激励に来られたので大変な盛り上がりでした。

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